2012年 06月 21日
嵐の移動日、そしていつもどおりの、、 |
震災の凄惨な爪痕の残る大船渡に行ってきました。
移動は車で東京からの500kmずっと台風に追われ激しい雨でした。
ホテルは海辺にポツんとたたずむ”福富”。
こちらはたいへんな被害にあいながらもずっと人々のために営業していたとても気骨のあるホテルです。
まわりの景色を見てほんとうに津波の威力はおそろしいのだということが一年以上たったいまも肌で感じられました。
僕は三階に泊まったのですが2階の天井まで波が襲ってきましたと従業員の人が普通にとつとつと話していました。
ところでそのホテルは平日にもかかわらず駐車場がいっぱいでした。
全国各地から多数のゼネコン関係者が復興のため宿泊していました。
(なぜか強面の人がおおかったー。。)
夜は満潮と台風接近で高潮になるという情報で寝る前少し緊張しましたが、長旅だったので気づくと朝まで爆睡してました。
次の日は台風一過の晴天でコンサートは無事に行われました。
僕はといえばいつもどおりあいかわらずのパフォーマンス、演奏をしてきました。
ほんとに僕はこれしか出来ないのだなと思いました。
コンサート終盤には感極まったのかステージにあがって踊りだしてしまう人もいました。
喜んでいただけたのならとてもうれしいです。
帰りは陸前高田の一本松の横を通りました。
記憶に残すためにカメラのシャッターをきらせていただきました。
一本松を見ながら2年前に会って一目で好きになってしまった空き瓶吹きのおじいさんのことを思い出しました。(当時のブログ)http://syujisan.exblog.jp/13392639/
おじいさんは不運にも波にさらわれてしまいました。
でも僕の記憶のなかにはしっかり生きていて、おじいさんの演奏を思い出すたびに笑顔になります。
おじいさんは自分の芸をつねに創意工夫を重ねて高めていました。
僕も見習っていきたいと思います。
移動は車で東京からの500kmずっと台風に追われ激しい雨でした。
ホテルは海辺にポツんとたたずむ”福富”。
こちらはたいへんな被害にあいながらもずっと人々のために営業していたとても気骨のあるホテルです。
まわりの景色を見てほんとうに津波の威力はおそろしいのだということが一年以上たったいまも肌で感じられました。
僕は三階に泊まったのですが2階の天井まで波が襲ってきましたと従業員の人が普通にとつとつと話していました。
ところでそのホテルは平日にもかかわらず駐車場がいっぱいでした。
全国各地から多数のゼネコン関係者が復興のため宿泊していました。
(なぜか強面の人がおおかったー。。)
夜は満潮と台風接近で高潮になるという情報で寝る前少し緊張しましたが、長旅だったので気づくと朝まで爆睡してました。
次の日は台風一過の晴天でコンサートは無事に行われました。
僕はといえばいつもどおりあいかわらずのパフォーマンス、演奏をしてきました。
ほんとに僕はこれしか出来ないのだなと思いました。
コンサート終盤には感極まったのかステージにあがって踊りだしてしまう人もいました。
喜んでいただけたのならとてもうれしいです。
帰りは陸前高田の一本松の横を通りました。
記憶に残すためにカメラのシャッターをきらせていただきました。
一本松を見ながら2年前に会って一目で好きになってしまった空き瓶吹きのおじいさんのことを思い出しました。(当時のブログ)http://syujisan.exblog.jp/13392639/
おじいさんは不運にも波にさらわれてしまいました。
でも僕の記憶のなかにはしっかり生きていて、おじいさんの演奏を思い出すたびに笑顔になります。
おじいさんは自分の芸をつねに創意工夫を重ねて高めていました。
僕も見習っていきたいと思います。
by syujisan23
| 2012-06-21 12:04